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燃えつきた      [蛍雪時代]

 第25回社会福祉士国家試験が終わった。

 難しかった。というか、時間が足りなかった。 これは後で見直そうと保留にした問題を、見返す余裕がなかった。

 後半戦では、最後ギリギリに やっぱり「こっち!」と選び直した答えが裏目に出た。

 事前のアドバイスで、「迷ったら最初に正しいと思った方を選択すること」と言われていたのだが、うぅ・・・。このへんは本当にギャンブルと同じである。

 模擬試験より、本番の方が簡単だとも聞いていたが、あれはとんだデマだな。

 マークシートの塗りつぶしも模擬試験は「楕円形」で、本番は「正円」。これは、塗りにくい!

 明日の夜に、学校で模範解答をもとに自己採点する予定。首の皮一枚でいいから、つながっていてほしい。 とりあえず、奇跡を信じて「澤ノ井」飲んでる次第。。。うぅ。
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決戦会場の下見   [蛍雪時代]

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 国際展示場・東京ビッグサイト。ここが、第25回社会福祉士国家試験の試験会場だ。

 新宿方面からだと、市ヶ谷から有楽町線で豊洲まで出てゆりかもめに乗り換えた方が近い。新木場まで行くと、懐かしの若洲ゴルフリンクスだけど今はおあずけでござる。

 ちなみに新橋からゆりかもめに乗ると、お台場を回るので10駅。豊洲からだと5駅目だ。

 おっと、うっかり右に行ったら キャーッ(キャプラン)な事態になって、ラポポート(一字違い)の危機介入アプローチのお世話になることに!?
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 きょうは、9時半過ぎに家を出たが、当日は7時半過ぎだなぁ。弁当買ったりするから、もうちょい早めかな。

 ビッグサイト内にもコンビニやレストランがあるが、相当混雑するはず。
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 決戦は、こんどの日曜日。 終わったら、新橋でヤキトリか、月島でもんじゃか、それとも東京湾へ・・・。

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出陣の年   [蛍雪時代]

 天正18年(1590年)、服部半蔵を頭領とする鉄砲同心ら100人が江戸に入り、小田原北条氏の残党対策に新宿の地に駐屯したのが、「百人町鉄砲組」の始まり。

 そして、この鉄砲組が精進を重ね 祈願したところ、百発百中の的中率(皆あたる)になったところから、その呼び名がついた「皆中(かいちゅう)稲荷神社」。 JR新大久保駅下車、徒歩2分。
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いつの頃からか、ギャンブルと受験の神様に・・・。

出陣(国家試験)まで、21日。めざせ! 全問正答(の心意気で)!
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受験生とクリスマス ☆°°    [蛍雪時代]

勢いで買ってしまった。
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ルーシーだけが、大量に売れ残ってた。

上から目線で、ちとジコチューな女の子。やっぱり嫌われるのかな?
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おじさんは、結構好きですけど・・・。

余計なこと考えないで、勉強します。 国試まで、あと34日。
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実習生活1  [蛍雪時代]

 先週水曜日から実習が始まった。実習先は、多摩地区にある個人事務所。成年後見業務を主に、地域の権利擁護活動にも参画している社会福祉士さんの事務所だ。
 
 まだ3日しか経っていないが、成年後見という仕事の実際の輪郭が少しわかってきた。
 学校では、制度上のしくみや民法・行政法の決まり事を頭につめこむのに追われて見えなかったが、現場では利用者ご本人との「心」のつながりをいかに築くか、いかに保つかが最優先なのだ。

 認知症障害によって、判断能力は衰え失われていくかもしれないが、人は「心」で受け入れたり拒絶したりすることができる。

 実習2日目に面会に立ち会わせていただいた方(ご本人の同意のもと)は、パーキンソン病で施設入居を余儀なくされている方で、認知症も進行している。
 だが、社会福祉士さんとご本人の間には、確かな信頼関係、心の寄り添いが感じられた。

 秘密保持義務のため、詳細は書かないけれど、私の心の記録ノートには鮮明に残っている。


 実習は予想以上に濃い内容で充実した時間だが、朝から夕方まで実習先、夜から学校、帰宅後は提出用の実習日誌(これが今どき手書き!?)の作成・・・という おじさんには結構しんどいヘビーローテーション。
 
 これから1ヵ月、もつかなぁ。 しかも1ヵ月後には模擬試験。。。。
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いまはひたすら努力のとき  [蛍雪時代]

 週のはじめに実習先の事前打ち合わせに行ってきた。
 八王子の方にある独立型の社会福祉士事務所であるが、中央線の快速に乗れば意外に近い事が分かった。駅からは少し歩くが高台から見渡せる緑に包まれた家並みは、心を和ませてくれる。
 事務所のみなさんも優しく穏やかで、つい長居をしてしまった。

 その後、ボランティア先に向かう途中、携帯が鳴り、田舎の 叔父が亡くなった と連絡が入った。肺がんであった。

 結局お盆に帰省した際、見舞いに行ったのが最後になってしまった。
 私のことを我が子のように可愛がってくれた叔父であった。病院のベッドの上から私にかけてくれた言葉は「すまんなぁ・・・」の掠れたひとこと。
 どうして病気と頑張って闘っている人が、謝らなくてはならないのか。どうして一所懸命生きてきた人が、頭を下げなくてはいけないのか。
 田舎を出て迷惑をかけっぱなしだったのは、オレの方なのに。世話になっていたのは、オレの方なのに。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 その日のボランティアは、施設の人が楽しみにしているレクリエーションの補助。利用者さんのハツラツとした笑顔を見ていると、こちらもスマイルになる。本当にいつもサポートしてもらっているのは、私の方だ。

 夕方から学校に行き、授業の後、クラスメイトに その日一日の出来事を聞いてもらう。彼は禅宗のお坊さんで、話していると あったかいお茶を飲んでいるような 癒された心持ちになる。

 これから先も、いろいろな別れが待っていることだろう。しかし、この半年で、さまざまな人との出会いがあったことも確かだ。また、別れによって気づかされた かけがえのない価値 もあった。

 それらに応えるためにも、いまはひたすら努力のとき。
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更生保護制度とは  [蛍雪時代]

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 犯罪をした人や非行に走った少年の再犯を防ぎ、自立更生を図るための社会内での処遇。それが、更生保護制度。つまり、犯罪や非行をした人への、社会に戻ってからの立ち直り・自立支援にあたる。

 この「社会内での」「社会に戻ってからの」という点が社会福祉のポイントなのだが、そこだけ勉強すればよいかというと、国試はそう甘くない。
 更生保護は、刑事司法制度の一部として行われるので、刑事司法制度の仕組みから理解する必要がある。

 刑事司法制度は、警察・検察・裁判・矯正・更生保護の5分野。更生保護は5番目だ。

 ちなみに昨年度、出題された問題のひとつ。↓

◆少年司法に関する次の記述のうち、正しいものを一つ選びなさい。

1. 非行のために児童自立支援施設に送致された少年は、退所後は保護観察に付される。
2. 家庭裁判所が決定する保護処分には、児童相談所送致、保護観察、少年院送致がある。
3. 触法少年による軽微な事案は、直接、児童相談所から保護観察所に送致される。
4. 非行のために少年院に送致された少年は、仮退院後は保護観察に付される。
5. 政府が批准した児童の権利に関する条約における自由を奪われた児童の取り扱いに関する規定は、保護を理念とする少年司法には適用されない。

 おおむね30秒程度で解答しないと時間が足りなくなる。

 もっと単純な問題にしてくれないかなぁ・・・。たとえば、↓

◆ “ 社会を明るくする運動 ” のフラッグアーティスト(運動の旗振り役)として協力しているタレントは誰でしょう?
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 5択問題の正解は、「」。暑いが気力で頑張ります!


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【結晶性知能】を鍛える  [蛍雪時代]

 人間のカラダは60兆個の細胞からできているが、老化とともに細胞の数は減少し、伴って臓器が萎縮し、軽量化する。実に若い頃の3分の2まで軽量化するとか。
 メタボで太って重量が増えるのは脂肪であり、細胞の数ではない。

 カラダの機能には、運動時や危機的状況に発揮される最大能力(火事場の馬鹿力)と、平常時の活動に必要な能力とがあり、その差を「予備力」という。

 老化は、この予備力を低下させる。

 このように、老化とは衰えていくばかりのものなのだろうか。

 知能の発達研究により、知能は「流動性知能」と「結晶性知能」から成り立っていることが分かった。

 流動性知能は、新しいものを学習したり、覚えたりする能力をつかさどるもので、青年期にピークを迎え、加齢とともに衰退する。ゲームを競ったり、単純な計算をスピーディーにこなす「性能」である。

 対して、結晶性知能は、脳の成長が止まったシニア以降でも、経験と思考を積み重ねることで成長し続ける。概念的なものを操作したり、ものごとを判断したりするための「知の結晶」なのだ。

 結晶性知能は、20歳代から60歳代まで徐々に上昇し、80歳代においても25歳と同じレベルを維持していることが明らかにされた。

 認知症などによる「事故」がないかぎり、死の直前の「終末低下」まで、生涯発達し続けると言われている。

 また、知能の変化だけではなく、社会環境の変化に対する適応力について、井上勝也氏は『老年心理学』の中で、次のように述べている。
 現実の高齢者は、「喪失の時代にある人々なのではなく、正しくその喪失状況に対してよりダイナミックに対応し」、「抵抗し挑戦している人々」として捉えるべきである、と。

 配偶者の死、友の死、職業・社会的地位の喪失など、複合的な危機にさらされながらも、それらを克服して、立ち直り、新しい生活に適応していくチカラも持ち合わせている。

 そのチカラを曇らせてはいけない。 結晶は磨けば、必ず光る。

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『福祉ってなんだ』古川孝順 著  [蛍雪時代]

社会福祉の入門書として、読みやすくわかりやすい本はないかと探していたら、
岩波ジュニア新書に古川孝順(ふるかわ こうじゅん)の『福祉ってなんだ』があった。

福祉ってなんだ (岩波ジュニア新書)

福祉ってなんだ (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 古川 孝順
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/01/22
  • メディア: 新書
古川孝順は、現代日本を代表する社会福祉学者。
これはいいかも、と図書館で借りてみたが・・・、
ど、どこが「ジュニア向き…!?」なんだと出版社に苦情をぶつけたくなる内容。

第1章で「社会福祉をときほぐす」と謳いながら、非常に専門的な概念・・・、
ウィレンスキーとルボーの「レジデュアル(残余的)な社会福祉」と「インスティテューショナル(制度的)な社会福祉」の概念モデルが出てくる。

「ときほぐす」どころか、ガチンガチンに硬いではないか。

また、社会福祉を必要とする人のことを、「社会的バルネラブルな人びと」と、いきなり意味不明のカタカナで言われて、ますます固まってしまう。

バルネラブル・・・。調べましたよ、辞書で。

バルネラビリティ(脆弱性)」の形容詞で、「傷つきやすい」という意味らしい。

「社会的バルネラブルな人びと」とは、最近言われる “社会的弱者” を指すようだが、
古川孝順氏は、「弱者」という言葉が持つ消極的イメージが嫌いなようだ。
だからってカタカナにされても・・・。

気を取り直して、ここは、ほほぅ! と納得した箇所は、「第2章 社会福祉の成り立ち」。
19世紀中葉のイギリスの慈善事業の歴史の経緯。

ここは学校の授業では、
1869年に成立した「慈善組織協会」は、救済の対象者を「救済に値する貧民」と「救済に値しない貧民」に分類した点が特徴的と習っただけなのだが、なぜ そうしたのかについて、この本では述べられている。

19世紀中葉のイギリスの慈善事業の担い手は、当時のしあがってきた新興中産階級
厳しい競争を勝ち抜いて時代の覇者になった「成り上がり層」は、自分が蹴落としてきた敗者への罪の意識と、優越感あるいは、高貴なる者の義務感(ノブレス・オブリージュ)の現れとして、率先して慈善事業に精を出していった。
彼らの奥方たちも「慈しみ深き貴婦人たち」として、慈善事業に手を貸した。しかし、それは馬車にのってスラム地域に赴き、車上から衣類や食べ物を投げ与え、乞食や浮浪者、貧窮者が群がり奪い合うのを見て楽しむという、「娯楽としての慈善事業」であった。

そのような状況の中で、やがて施しに依存して生活する職業的乞食と呼ばれる人々が現れてきた。

この弊害を除去するために、慈善事業の関係者たちは、それぞれの団体で救済している人々の名簿を交換し、二重三重に施しを受ける職業的乞食を排除しようと試みる。
これが、救済の対象者を「救済に値する貧民」と「救済に値しない貧民」に分類した慈善組織協会のはじまりであったらしい。

なにも、イギリス人が選別思想を好んだから、ではないようだ。

しかし、この本。「社会福祉を学ぶ若い世代の必読入門書」と掲げているが、専門用語の羅列ばかりで、「利用者本位」とは、とても言い難い。
本書と出会って福祉から遠ざかっていく若者が増えないことを祈るばかりである。

なんだか、こっちのブログまで小難しくなってきた。。。。


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成年後見制度  [蛍雪時代]

6月19日(火)は、新宿区社会福祉協議会が主催する、
「成年後見制度・入門講座」に参加してきた。

成年後見制度は、、ちょうど「介護保険制度」が施行された2000年にスタートした権利擁護のしくみ。

認知症、知的障害、精神障害などにより判断能力が十分でない人の権利や財産を守る制度である。

学校の授業で習った内容であるが、資料や解説がわかりやすく、いい復習になった。

授業でも説明があったが、現在の成年後見制度には、いくつかの問題点がある。
その最大の課題は、成年後見人に「医療行為の同意権」が認められていない、ということだ。

後見人、つまり後見を受けている本人が、急な病で命に関わる手術が必要になったとしよう。
本人に家族が身寄りがない場合、医師は成年後見人に同意するか否かを訊いてくる。

当然、医師も成年後見人には「医療行為の同意権」が存在しないことは承知している。
が、医師とて他に同意を求める相手がいないので、仕方なく問うてくるのだ。

「私にはそれに答える権利はありません」と突っぱねることもできるが、同意が得られなければ医師は手術ができない。苦渋の上で決断を下すのが現場での実情だという。

とはいえ、公に「医療行為の同意権」が与えられたとしたら、それはまたそれで責任の重い務めになる。
成年後見人に生命に関わる判断、重責を負わせてよいのか、難しい問題である。



来週から、自分は区内の福祉作業所へ、ボランティアに行くことになった。
障がいを持った方の作業補助と、月1回のサークル活動の外出補助を手伝わせていただく。
守秘義務があるので、詳細は述べられないが、自分のような “おじさん” に務まるだろうかという不安がある。
でも、“おじさん” だからできることもあるかもしれない。

事前面接の際、作業所の担当者の方から、
「◎◎さん(私のこと)としゃべっていると落ち着いた気持ちになりますね。ボランティアに向いているかもしれませんよ」と言っていただいた。

自分の中の時計の針は、若い頃にくらべて確かにゆっくり刻むようになっている。
そして、Kさんが亡くなられたあの日から、さらに止まったように・・・。

しかし、まわりの時間はダイヤグラム通りに確実に流れており、
自分もなんとか気を張って、列車の最後尾につかまっている。

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